コーヒーを沸かす
村上春樹の『TVピープル』という作品集の中で、「眠り」という短編を読んでいて、以下の表現に出会った。
窓が明るくなると、私は本を置いて、台所でコーヒーを沸かして飲んだ。
ある女が突如として全く眠れなくなり、夜明けを迎えたところでサンドイッチとコーヒーを喫する場面だ。
よく考えると、この「コーヒーを沸かす」という表現はおもしろい。当然のことながら、沸かすのは「お湯」である。沸かしたお湯を使ってコーヒーを入れるのである。カネコアヤノは、「ロマンス宣言」で次のように歌う。
優雅にお湯を沸かして コーヒーのむのよ わたしの理想の喧嘩計画
これまでも、たとえば「やかんを沸かす」という表現には出会ったことがある。これは、実際に沸かすのはやかんではなくお湯であるが、この表現で十分に意味が伝わる。いわゆる「換喩」の例としてよく引き合いに出されるものだ。
ところで、「コーヒーを沸かす」というのは、どういうタイプのレトリックなのだろう。というか、もしかしたらそもそもレトリックですらないのかもしれない。僕が知らないだけで、コーヒーを「沸かす」という表現がぴったりの入れ方が存在するのかもしれない。
たとえば、こういう事態も考えられる。事前に入れておいたコーヒーをポットにキープしておいて、それを再加熱する。たしかに、これはコーヒーを「沸かす」と表現するのがぴったりだろう。