30歳までに何者にもなれなかった独身男性が20代の若者に教えたい、何者かになるための技術
もうすぐ33歳になる。20代の頃はずっと何者かになりたかったけど、結局何者にもなれなかったな〜ということについての気持ちをTwitterに書いた。
すると、レコメンドに載ったのか反応が突然増え始め、いま6万impを超えた。
これについては、もう少し掘り下げて書けるような気がしたので、せっかくなので書いてみたいと思う。
「何者か」になった人たち
一体何をすれば何者かになったことになるのか、ということについて、僕の中では割と明確に答えがあって、それは「本を商業出版すること」である。それも、複数冊の本を出せていればすごい。
そして、同世代には、自著を複数冊出している人がそれなりにたくさんいる。大学時代の知り合いにまず2人いる。
また、昔からTwitterの相互フォローで、ちょっとだけ遊んだことがある人の本が本屋大賞にノミネートされていたりする。なお、本屋大賞にノミネートされた相互フォローの人というのは、1人ではなく、2人である。相互フォローに2人も本屋大賞ノミネート作家が……?
これはすごいことである。もちろん、すごいのは僕ではない。いや、そういう人たちの後ろ姿を眺めながら何もできなかったという点ではすごいのかもしれないが、それは単なるレトリックである。すごいのは当然、実際に本を出した人たちである。
もちろん、本を出す以外にも何者かになる方法はある。本を出す以外の方法で何者かになった人たちも僕はたくさん見てきた。もちろん、僕がその人を勝手に何者かであると認定していて、当人はそんなことは思っていないかもしれない。しかし、誰か一人や二人でも何者かであると思われることはすごいことである。
そうして、今は何者かである人が、まだ何者でもなかった頃から何者かになるまでの過程を見てきたわけだけど、そういう人たちにはある共通点があると思っている。それが、冒頭に貼ったツイートにも書いた内容だ。そのツイートの内容を少し掘り下げていくことにしたい。
ここからは、きっと何者にもなれないお前たちに告げる。
何者かになんてならなくても良い?
ツイートを掘り下げる前に先に断っておくが、別に何者かになるのは、人生において必須の事項ではない。これは強調しておきたい。
先のツイートに対して、芦沢かもめさんが以下の引用リツイートをしてくださった。
僕も、この意見には賛成する。一方で、何者かになりたいという呪いの中で生きてきた僕にとって、何者かになりたい / なりたかったという願望は、呪いなのか、自分から発せられた欲望なのかもう区別がつかない。だから、「何者かになんかならなくても良い」というのは、僕にとって、諦めであり、開き直りであり、慰めである。何者かにならなくて良いと言いながらも、できることなら今からだって何者かになりたい。
また、僕と同じように、呪いかどうか分からずに「何者かになりたい」と思っている、僕より若い人もいるだろう。別に僕より若い必要もない。そういう人たちに対して、少しでもヒントを共有することができたらという気持ちがある。
何者かになりたいけど、何を頑張れば良いのか分からない。ただ一切が過ぎていってしまう。そういう人たちに、少しでも何かを伝えたい。
中途半端な成功について
まだ本題に入れない。ツイートの内容を掘り下げるにあたって、僕は僕で、中途半端にインターネットで承認欲求を満たせてしまっている、ということは書き添えておくべきかもしれない。そういう立場だからこそ見えているコツというものがあるのかもしれない。
承認欲求が満たされている具体的な例を挙げてみよう。僕は「蓼食う本の虫」という文芸情報を発信するWebメディアをやっているのだが、このTwitterアカウント(@tadeku_net)はフォロワーが1.3万人いる。芸能人がYouTubeを開設すれば、すぐに登録者数が数万人に達するこのご時世、Twitterアカウントのフォロワーが1.3万人、しかも10年も運営してきて、というのは、別にすごくないかもしれない。しかし、何もしなければ到達できない数字ではある。だから、我ながら「ちょっとすごい」と思う。そして、これから書くコツを実践してさえいれば、実はもっとフォロワー数を伸ばし、有名になり、自著の出版につなげることだってできたのかもしれないのだ。なんともったいない!
あとは、物書きのための語彙botというTwitterアカウントも10年以上運営していて、こちらはフォロワーが5.5万人いる。これもちょっとすごい。
また、10年弱くらい前に、Maho ONLINEという架空の魔法世界のニュースメディアというのを作って、100人くらいのコミュニティを運営していた。これもちょっとすごい。
先に書いた「蓼食う本の虫」で書いた記事がきっかけで、新卒の時に書類も通過できなかったピクシブ株式会社に中途入社できた。これもちょっとすごい。
10年以上前に、BUMP OF CHICKEN の楽曲で何度「オーイエアハーン」的な発声をするのかを数えてブログ記事にしたら、ネット記事に取り上げられて、それがヤフトピに載った。これもちょっとすごい。
これらの事象を、ちょっとすごいと思うのかどうかは人によると思う。僕は自分でちょっとすごいと思う。思ったよりも楽しくインターネットライフを楽しんでいるなと思う。
しかし、ちょっとすごいと思っても思わなくても、ここらの内容には別に関係がない。いずれにせよ、上記に書いたような承認欲求充足履歴がある、ということは一応書き添えておいた方が良いと思って書いた。
何者かになるコツ
さて、いよいよ本題である。
先のツイートで、何者かになった同世代の人たちには、以下のような共通点があった、と書いた。
- 自分の得意・好きな領域で、ひたすらに物を作る
- 作った物を公開する
- 反響が無ければ、手を変え品を変え、いろいろな種類の物を作る
- 反響が出たら、その領域の物を集中的に作って公開し続ける
- 下火になってきたら、またいろいろな種類の物を作って反応を見る
たとえば、小説を書いて本屋大賞を取ったTwitterのフォロワーは、もう本当にずっと小説を書いていた。何度も何度も、諦めずに小説を書いては新人賞に応募していた。作ったものを「公開する」と書いたが、これは別に「公開」である必要はないのかもしれない。ある種の手応えを感じるための手段を講じることができれば何でも良い。新人賞に応募すると、作品は公開されないにしても、何次審査までは残った、というような手応えが得られる。あるいは、前回は最終審査までいったのに、今回はからきしだった、というようなフィードバックも得られる。その跳ね返りを見ながら小説を書いていれば、どこかへ出られるかもしれない、ということだ。
自分の得意・好きな領域で、ひたすらに物を作る
ここからは、一体何をどうしたら良いのかについて、自分語りを含めながら書いていきたい。僕の真似をすると、30歳になるまでに、インターネット上で小さく承認欲求を満たすことができるようになるかもしれない。また、あの時こうしてれば、あの日に戻れれば、と思うこともある。その反省を込めて書くことこそが、この記事の独自性につながるような気がしている。
ひたすらにものを作れば良いと書いたが、何を作れば良いのか。本当に何でも良い。作ってみてからまずは考えよう。
たとえば僕の場合は、小学生の頃に小説を書き始めたのが、何かものを作り始めた最初のことかもしれない。それから大学生まで、小説を書いてはインターネット上に公開したり、文芸サークルに入って人に作品を読んでもらったりしていたけど、自分より才能がある人がゴロゴロいて、自分に小説を書く能力がまるでないことに気づいた。それに、その頃には、小説を書くのがあんまり好きではなくなっていることにも気づいていた。
だから、小説についての情報を発信して、インターネット上でちやほやされようと思った。具体的には、芥川賞作家の学歴を調査・分類してブログ記事にしたことがあった。たしかはてブが100くらい付いたような気がする。はてブが何か分からない若い世代の方たちは、はてブが一体なんなのかググってみてください。
30代を超えてもまだ何者かになりたいと思っている奴こと僕についてだが、最近は小説を書く時に便利なツールを作っては公開している。もともとプログラミングができるわけではないのだが、AIエージェントが発達しているおかげで、月に数千円払うだけで開発を行うことができる。小説を書くこと自体はそれほど好きではなくなってしまったけど、小説にまつわる情報を追いかけることは好きだし、創作ツールについて考えるのも好きだ。また、ピクシブという会社で小説投稿機能の開発に携わっていたおかげで、界隈にどのようなツールがあり、どのような隆盛があって、どのような開発・マーケティングの難しさがあるのかが少なからず分かっているつもりだ。
この好き・得意を生かして、最近はひたすらにツールを作っている。なお、作ったツールはtadeku-toolsというサイトで公開しているので、良ければ見ていってください。最近は、Inditerという、最強の小説執筆ソフトウェアを作っています。今はα版として公開しています。
作った物を公開する
絶対に! 作ったものは公開した方がいい! 人に見てもらったほうが良い!
これは、先に書いたように、何がアンでも衆人の目につくところに公開した方が良いということでもない。何かしらコンテストや公募のようなものがあるのであれば、そこに投稿しても良い。いずれにせよ、何かしらの反響を欲しているのである。
ここで、何者かになりたいという呪いの話につながる。別に何者にもなりたくないと思っているのであれば、作ったものは公開しなくても良い。いや、公開しない方が良いとさえ言える。もの作りを純粋に楽しんでいるのに、反響が無いからと落ち込むのは意味がわからない。
しかし、あなたが何者かにならないと強く願うのであれば、その呪いに取り憑かれているのであれば、作品を公開するべきである。もちろん、反響が無ければ傷つく。しかし、それでも公開するべきだ。
というか、最初に公開してもおそらく反響はほとんどない。しかし、公開を積み重ねていくうちに、徐々に反響が得られるようになっていく。それは、過去にあなたを見た人があなたのことを気にかけて、見に来てくれるようになるからである。また、何をすれば反響が生まれるかが分かるようになって、それを実行できるようになるからである。しかし、一度も何も公開したことがない人間にはそれができない。だから、何者かになりたいのであれば、作品は絶対に公開した方が良い。それも、できるだけはやく。そして、できるだけ多くの人に向けて。
反響が無ければ、手を変え品を変え、いろいろな種類の物を作る
あなたに本当に作りたいものがあって、それを作り続けることが喜びなのであれば、反響がないからといって作るものを変える必要はない。
しかし、僕はそうじゃない。インターネットでちやほやされたい。できれば商業出版にこぎつけたい。だから、反響が無かったら、次の何かを作り始める。
僕も、自分が小説が書けないと気づいてからは、いろいろなことをやってきた。大学生の時には、知人が書いたレポートを許可を取って公開するサイトを作ったこともあった。蓼食う本の虫を作り、Maho ONLINEを作り、最近は小説を書く人向けのWebツールをtadeku-toolsで作っている。その時々で、思いついたことを実践し、やったことのないことでもやってみている。
反響が生まれるかどうかに、上手いかどうかはあまり関係がない。いや、上手いかどうかは関係があるか。どちらかというと、それに習熟しているかどうかは関係がない、と思う。長年やっているからといって上手くなるわけじゃない。センスでぶち抜ける領域だってあるはず。あるいは、誰もまだ発見できていない領域があって、そこにたまたま乗っかることができたりもする。だから、とりあえずいろいろやってみた方が良い。
作れそうものはなんでも作ってみたほうが良い。本当に。下手でも良い。いや、本当は良くなくて、上手な方が良いんだけれど、だいたいのことは、やっているうちに上手くなっていく。もし上手くならないものがあれば、それはやめればいい。これももちろん、別に上手くならなくても好きだから続けるということは否定しない。僕にもそういう趣味はある。しかし、何者かになるためには、反響のないもの、上達しないものに対しては、見切りをつけていった方が良いと思う。自分に最適な才能や環境の組み合わせを見つけるRTAをした方が良い。
反響が出たら、その領域の物を集中的に作って公開し続ける
手を変え品を変え何かを作り続けていると、たまにドカンと反響が出ることがある。そこが金脈だ。だから、そういう時は、そこに資源を集中投下した方が良い。何者でもないものが持つ資源、それは時間である。
この時ばかりは、手を変え品を変え実験するのをやめて、できる限り同じような味がするものを作り続けて提供した方が良い。お客さんはそれを求めている。求めているものを作ると、それは売れる。売れ続ければ、本が出せるかもしれない。やったね。
だがしかし、僕はこれができない。本当にできない。同じ味がするもを作り続けることができない。すぐにネタ切れしてしまう。飽きてしまう。何か別のものを作りたくなってしまう。だからお前はいつまで経っても何者にもなれない。おしまいである。
最近は、tadeku-toolsで公開している小説創作向けのツールの反響が大きい。だから、本当はここに注力するべきなのである。
たとえば、自分専用のキャラクター図鑑を作れる「Chara-Zukan」というツールを公開したツイートには、1万以上のいいねと50万近いimpがついた。
これを推し進めていけば、今度こそ何者かになれそうである。しかし、できないのである。他の面白そうなことに目がいってしまうのである。ここ数日は、全く関係のないWebサイトを1日10時間くらい作り続けている。ここが正念場な気がするのに。
だから、みんなは、反響が出始めたらそこにドカンと賭けてください。33歳の何者にもなれないおじさんとの約束です。
下火になってきたら、またいろいろな種類の物を作って反応を見る
流行とは必ず終わりが来るものである。一度流行っただけで何者かであり続けるのは難しい。
それは、お笑い芸人やタレントなどを見ていれば分かることでもある。しかし、人気のあるお笑い芸人は、何度だって話題になる。そして、話題になるための努力を常にしている。
反響が大きくなり人気が出てきて、同じ味がするものを安定的に出力できるようになってきたら、違う味がするものを作ることにも挑戦してみるべきだ。
それは、全く新しいものでも良いし、今の活動の延長線上にあるものや、ちょっとずらしたものでも良い。
ただし、これは何者かになった後の話だ。あるいは、小さく何者かになった後に、より大きく何者かになるための技術だとも言える。だから、これから何者かになろうとしている人は、別にこれを意識する必要はないと思う。しかし、少しだけ何者かになって次第に忘れ去られていく人と、ずっと何者かであり続ける人の間には、ここで決定的に違っている、という実感が僕にはある。
おわりに
急ぎ足でこの文章を書いた。支離滅裂な箇所もあるかもしれない。しかし、この文章を急いで書いているのには理由がある。
冒頭で、ツイートに6万impがついていると書いた。この「おわりに」を書いている今、impは8万に拡大している。まだ見られ続けている。現在時刻は深夜25:07で、おそらく今から寝た後にも、impは増え続けるだろう。
そんなツイートに、「30歳までに何者にもなれなかった独身男性が20代の若者に教えたい、何者かになるための技術」というタイトルのブログがリプライツリーに並んでいるとどうなるだろう? おそらく、いつも書いているブログ記事よりは確実に読んでもらえる。なんなら、元ツイートと共にバズって、さらに盛り上がるかもしれない。そうすると、僕のことや、僕の語り口、僕の語る内容などを記憶してくれる人が増える。そしてそれが巡り巡って、商業出版につながるかもしれない!
つまりこれは、この記事に書いた「反響が出たら、その領域の物を集中的に作って公開し続ける」の一環なのである。なるべく早く、同じ味がするものを提供しなければならない。僕はまだ、何者かになるのを諦めていない。